2013-10-12
さて、きのうネットを散策していたら、ジャーナリストの神保さんと社会学者の宮台さんが、臨床医の先生をゲストに迎えて、こんな対談をされている番組に遭遇しました。
◎ 5金スペシャル 霊魂と肉体: あの世とこの世を分かつもの (サイト「ビデオニュースドットコム」より)
ジャーナリストと社会学者と臨床医のお三方が、濃度のちがいはあれこの方面に、それぞれ関心を持っておられることを知って、微妙に新鮮な驚きを得ました。
ゲストの矢作ドクターは、若いころ高低差1000m、距離にして1200mほどの大滑落を経験されたそうですね。臨死体験に近い経験をされたとのことで、なるほど、その方面に関心が向いていったのもうなづけます。
この方面に眼差しを向けることは、私的には、青少年時代に必死にこの現実世界に生き馴染もうと葛藤呻吟していたあの頃の意識状態[‘Kio’estas mi? Kial mi cxi tie?]にまで遡上するようなもので、原点回帰みたいな気がするのですが、つねにつきまとうシゴト上の行きづまり感の原因もまた、どうやらこの辺りに潜んでいることをこの対談が気づかせてくれました。
とりわけ宮台さんいわく「けっきょくなにもわかっていないんだ・・・」という溜息のにじんだ、現代宇宙論や理論物理学に対する感想が、フラフラしてなかなか足元の定まらなかった私の文芸的立ち位置を、一気にガチッと固めてくれました。この番組に感謝です(^^)
2014-09-21
◎ もし死んだら今ある俺の意思はその後どうなるんだろう : 大艦巨砲主義!
こないだの『NHKスペシャル「臨死体験立花隆 思索ドキュメント死ぬとき心はどうなるのか」』でも、明快な回答には至りませんでしたね。それこそ、死んでみなきゃあわからない(笑;) いや、死んでみたってわかる保証などまったくないですね(笑)
ただ、病気になったとき、とりわけ内臓のハードな不具合に見舞われたとき(2014-08-01記事 )、自分の身体がものすごく精妙なシステムでできあがっていて、そもそも健康に何事もなく生きていることそのものが実に奇跡的なことがなんだ、というのを感じますね。
そして、そのときに感じたもう一つのことは、番組の終りのほうで立花さんが体験したのと同じような、横になってぼんやりと半睡状態にあったときにふと感じた、全身が重たい重力から解き放たれたような、なんともいえない心地よい開放感!
はっきりと目が覚め体を起こしたときに、「あー、あれが死の瞬間というものだろうか。だったら死ぬって怖いことではないし、なんとなく囚われた魂の開放みたいな感じだな・・・」と思ったことでした。でも、それに気をよくして「それじゃあ、お先にグッバイ!」なんてふうにはなりません(笑;)