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空の樹 I

‘悟り’まであと何回・・・^^?

2014-01-19

・・・そういえば、この記事を編集していたら、きのうのNHKの「ザ・プレミアム 超常現象 第2集 秘められた未知のパワー ~超能力~ 」の残影が被ってきて、ふと思ったけれど、自分がこうやって人様の記事のなかから響いたものをピックアップしているときに、なにか脳内のジャイロスコープみたいなやつがグリグリと動き出すような感覚をおぼえることが多いので、思い返せば、それは一種の精神感応(その記事内容や文体から受け取るある種の“気塊”のようなものを、この番組でいうところの「透視」のようなスタイルで受け取り、あるいは感じ取っているのかもしれない。。。

うむ、今日もなかなかいい妄想な出だしです(笑;)

ちなみに、私はこの番組の第1集のテーマのひとつ「生まれ変わり」もきのうの第2集のテーマのひとつ「透視能力」も、肯定派です。

なかでも生まれ変わりに関しては、「人生は一度きり」というのは真理だけれど、その人生はまた、あたかも、順送りに釈迦の掌を回るあまたの数珠玉(輪廻)のうちの一個みたいなもので、数珠糸である生命奔流(=生への執着≒カルマ)が、無数に連なるそれら一つひとつの一回きりの人生(=意識と身体の経験流)を分かちがたく繋いでいる。そして、輪廻を断ち切らないかぎり(=豁然と悟りを啓かないかぎり^^;)、カルマから解き放たれることはない

・・・という強迫観念に近いイメージが昔から拭い去れないでいます(笑;)

で、そうしたときに個々人は、その心魂のもっとも深いレベルにおいて不滅の存在でもある、と‘理会’することで、「生まれ変わり」という一見超常的な事象もまた、人間の地上生活での諸活動という“リアリティ”の延長線上にあるものとして、虚心坦懐に観ることにしています。またそういう観点から、テレパシーも透視能力も念動(テレキネシス)も同じ線上にあると捉えています。 

そして、我ながらおもしろいことに、ちょうど、NWOアジェンダが現代世界の情勢解釈においてつねに無矛盾を提供してくれているように、この種の心的態度もまた、人間存在の観察においてまったく矛盾をきたしたことがないので、手放せないほどに重宝しています^^ (ですが私の場合は、アセンション・ムーブメントまで飛翔できるほど、羽衣風味なハイパーマインドは持ちあわせていないようです。残念ながら^^; 理由はおそらく・・・地の星座に属しているからかな^^?)

 【1/20追記】
そうそう、そういえば、たまたまのタイミングですが、ブログ「カレイドスコープ」さんにも、つい最近こんな記事 が載っていましたね。私としては驚くほどの事でもない話なので備忘はしてなかったですが、なんかシンクロニシティを感じなくもないな・・・^^ ちなみに、記事中に紹介の矢作医師に関しては、私も備忘って いましたね。
 【追記了】

 


2015-12-09

<以下、同日付けの記事「ある帰還。」の再掲>

○ 全身麻酔怖すぎワロタwwwwwwwwwwwwww : 思考ちゃんねる

 彼はこないだ不本意にもこれを体験したけれど、醒めゆく過程にはいった時に訪れた全身が破壊されるほどの三度の激痛の末に、彼は観た。水の流れを。
 くすんだ灰色からはじまりやがて銀色の光沢を放ちはじめさらに薄紅の混じった黄金に染まった広大な河を。その河はアマゾン川の何十倍も広く、しかも水深はどこもわずか10cmていどで一点の濁りなく澄みきっていて、川面はつねに小さく細波だちながら、岸辺にたたずむ彼の眼前を右から左へゆっくりとゆっくりと音も立てずに静かに流れていた。
 そして、その広大な静謐な清流の岸辺にたたずむその場所は、無窮とも思えるほどとてつもなく広い空間の微小な一点にすぎないことを彼は知っていて、その思いがあらゆるものから解き放った言いようのない伸びやかな開放感と自由の感覚のただ中に彼自身を遊弋させていた。そこに、恐怖など微塵もなく、どこまでも安らかで自由で平和な心持ちの世界が広がっていて、彼はそこで過不足なく完全に受け入れられていることを感じていた。
 さらに彼は知っていた。ここにくるとき、それまで間近に聞こえていた緊迫した感じのざわついた人声も掻き消え、たちまち全てが砂浜のようなこの川岸の真砂のたった一粒の表面にこびりついた黒い染みであったかのようにいきなりすうっと小さくなり、それと同時に彼自身がいつの間にか、この広大な空間のただ中にある静かな岸辺に目を凝らして立っていることを。そしてまた、この様を観ている者は紛れもない「私」であり「私」は消滅することなくいまここにいることも。
 彼は思う。このどこまでも広い世界。いままでなんと微小な世界にへばりついていたのだろう。いまは何かに遮られることもなくかぎりなく自由だ。この海のように広い河を渡ろうと思えば一瞬のうちに向こう岸に行くことができる。そしてそこには、そう願えば父母が待っていてくれる。
 そしてまた、いまのこのやや薄暗い河岸も向こう岸では陽の光よりも数倍も明るく、目が開けられないほど燦々と降り注ぐ光の洪水に包まれるだろう。そのとき自分はその光の奔流に融け入ることができるだろうか、と。それができればもう漂うことはないのだが…。
 続けて彼は思う。でもいまはまだこの河は渡らない。もどってすべきことがまだいくつかある。彼岸へ渡るのは、いずれくる‘本番’の時の愉しみに取っておこう…と。そう思ったあと彼は昏睡状態に落ちたが、 「はっ、生きてる! 奇跡!! …よかったぁ」

と小さく叫ぶ夜勤看護師の幻聴かと聞き紛う声とともに、彼は深夜の回復室で此岸の意識を取り返した。

 ・・・と、このように、全身麻酔から覚めるときは「くれぐれもご用心を」と彼は言ってくれました^^; ちなみに彼が、ずっと以前に看護師だった親戚からもらったまま読まないでいたこの本を手にして思わず声を詰まらせたのは、退院したあとだったそうな。。。

 <再掲了>

 


2016-11-19

◎ ねずさんのひとりごと 日本の神々が待ち望む日本人の目覚めとは
ーー ここまでくると、ほぼ完全な宗教ですね^^; 麗しい王国、いや皇国。でもなんとなく蟻の王国を彷彿としなくないでもないですが・・・おっとだれかが耳元で囁いてくる・・・“この何野誰兵衛として生を享けた(=受肉した)者としてはたった一度の人生(誰もがそれぞれに無限遠の円周無限大の円環をなす生命の糸の輪に通された一個の数珠玉。此の一個人(個体生)は一度限りだが人間とは限らない次なる霊的凝固〔≒カルマの物質化(すな わち粒子状の連結組成)あるいはロゴスの受肉(ただしこれは人間存在となる場合)〕が無限回で俟っている。仏陀級の悟りによってのみ此の糸の連関から解き 放たれる)なので、自らと此の身を措く世界について考える葦ならぬ考える蟻でいたい。”・・・とのこと。そうだなあ、自分もボケ防止のためにそうしていたいな^^;

◎ ねずさんのひとりごと 古くて新しい日本のこれからの統治のあり方とは
ーー けっきょくのところ、ジョゼフ・キャンベルさんの『千の顔をもつ英雄』(とりわけ第二部とエピローグ)、そして『宇宙意識 〜神話的アプローチ〜』を読み 込んでみると、ねずさんののたまわる伝統的な日本式統治論と社会像の根底にある「神話的思考」が見えてきますね。その意味で、氏の持論はけっこう興味ぶか いものがある。そこらあたりの観念運動(あるいは脈動する想念)のロゴス化(=論理的言語化)も含めて、今後の日本式NWO構築の参考にできたらいいなと思いまするでするん^^:

 

  

 

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