2013-11-11
宇宙飛行士の若田さん 、日本人気質まる出しでがんばってますね。努力の人を絵に描いたような彼のその、ある意味頑固なスタンスが、ミンションの成功という形で成功すれば、これは日本が国際化してゆく際の大きな“自信”になりますね。
英語を公用語として駆使しながらも、中身も外見も“日本人”(和〔=個々の特性は認めつつもたがいによい所を引き出しながら連携していこうとするチームプレーの姿勢〕を最重要視する気質の持ち主)であることがそのまま世界に通用する(=受け入れられる)とすれば、日本人の多くは自信を取りもどし、
とりわけ若者は、いまの慢性的に内向き志向なシュリンク状態からようやく脱皮して、ワールドサイドな貢献を目指すような意識を昂めるきっかけの一つになるでしょうね。そういう意味においても、コマンダー若田さんのミッション成功を祈らないでおれません。
【同日12:30追記】
◎ 「行政は私たちを守らない」と主人と放射能の測定結果を見てそう感じました。(文字起こし) (ブログ「みんな楽しくHappyがいい♪」より)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3391.html
すばらしい証言、といえば語弊があるかもしれないですが、自主的緘口規制が幅をきかせているなかでは、“すばらしい”とかしか表現できない証言です。
ただ、内容をうかがっていると、ご本人自身、もともと“覚醒した”方のようですね。愛する子どもを護るために、果敢に行動も起こしておられる。ただそのどれも、巨大な社会実験の“現実”のまえに、今のところはもろくも崩れ去っているようですが。
それにしても、選んだ避難先が、放射能ガレキ積極受け入れで悪名高い、あの北九州とは。因縁というかなんというか・・・この方の静かな闘いがこれからも長く続くことを、その終始厳しい表情が物語っていますね。
この証言を聴いていてもうひとつ思ったのは、さきほど若田さんのモットーでもある「和(harmony)」のスピリッツ(精神)とフクシマのこの現状。
<以下引用>
今、福島には人が住んでいます。
「どうせ、わたしらモルモットだし」
「保障がないから逃げても貧乏」
「生活できない」
「今の生活レベルを落としたくない」
「国が安全といってるから安全だっぺよ」
「死ぬ人多いね」
「でも何もできない」
「変わらない、やっても無駄」
「楽しいことだけ考える」 と言いながら除染し、
生活排水は汚泥となって、高濃度の放射性廃棄物を毎日排出しています。
それが自分に返ってくる事実と向き合うことはありません。
<引用了>
これは見方を変えれば、正常性バイアス の誘因(主として弁解)と定着(何事もないような素振り)を示した好例でもありますが、じつは「和の精神」は、ことの良し悪しをぬきにしてこの「正常性バイアス」を支持しやすい性質(陥穽といってもいい)があることも知っておくべきですね。
というのも、「和の精神」は同調バイアス を容易に誘発する欠点を内包しており(このことに異論ある人は少ないだろうと思います)、非常呪縛に捉われていない平常時にあっても、このバイアスの恒常的潜在こそが、
まさにあの痛い至言“赤信号みんなで渡れば怖くない”に象徴されるように、危機的情況にある“目の前の現実”から目を背けさせる「正常性バイアス」を人びとの潜在意識に強固に根づかせるいちばんの“曲者” でもあるわけですから。
だからこの証言者のように、自分たちの置かれた情況や環境にたいしてある程度の知識と情報をもつことで“正常性バイアス・フリー”である人は、同時に、「個」の確立した“同調バイアス・フリー”な人(がほとんどでありこの人もその一人)であると思われることから、
そうでない周囲の多くの人びとは、この人が和の精神の欠落した人、すなわち、郷土愛や「絆」に象徴される共同体意識の希薄な人とみなされ、本人もその子もいじめられる(=迫害に似た境遇に陥る)。
・・・ま、そんなふうなことを思いました。これは、「個」の意識の希薄なメンタリティにおいての「和の精神」のもつ陥穽(=国際的なメンタリティとしての不適格性)に関する再確認もかねていますが。
ちなみに、若田さんもその“陥穽”(日本人的独善性〔視野狭窄な独りよがり〕)をよく知ってらっしゃるようで、和(合意し意思統一する)に至るまえの、議論を出しつくして検討を加える姿勢とプロセスを強調していますよね。
「和のリーダーシップ」は、そのうえで、参加者各自の意見は細部で違っても、心を砕き、配慮し、微調整を図りながら、基本的な合意点へと導き、それを梃子として最終的な意思統一へと(段階的に)もっていく、欧米型とは異なる調和型で底上げ式のマネージングを基本スタイルとするようですね。
でも、この手法だと突発事態が発生したときに、不測の事態への対応はおざなりになり、即応性にかける対応傾向が強まるのではないか。であるなら、そのマネージングそのものがウィークポイントになるのではないか。という不安めいた疑念がわきます。
そうですね。否定できないです。もちろんこれは平常時のリーダシップとして効果を発揮するものですから、一刻を争う緊急事態のときは、それに即応た突出した強いリーダーシップ(瞬時の判断とつよい意志をもった簡潔明瞭な指示・命令)も必要となるでしょう。
したがって、その場合の対応能力も兼ね備えて、そのような事態においても、「和」のリーダーの指示を信頼できるものとしておく(その能力も適宜示して信頼を強固なものとしておく)必要があるでしょう。だからこそ、若田さんの実践する「和のリーダシップ」は、日本国内での親方日の丸的なナアナアのリーダーシップなどではなく、きわめて高いマネージメントの能力を要求されます。
ということで、さまざまな文化や習慣や言語や宗教や価値観を背景にもつ人びとの能力を充分に活かす方向で束ねることを要請される国際的リーダーシップの現場において、はたして通用するかどうかが試される重要なチャレンジの場だと思います。